無駄を自覚して息をする

22歳が狭い知見で物を語ります

女子高生と僕とこれからと

今日は夜勤だった為朝帰りだったのだが、更衣室のロッカーに職場に提出しなければならない書類が入っていた。その書類を持って帰るのを忘れないように自分の目の届くところに置いたところまでは良かったのだが、残念ながら僕の目はその時点で自宅しか見えていなかったらしく堂々と忘れてきてしまった。幸いにも家に帰ってからすぐに気が付いた為とんぼ返りで職場に戻ったのだが、岩手には昨夜から雪が降り、その雪は朝には溶けて小さな水たまりが幾つかできていた。もちろんそんな事は一目でわかるのだが、書類を忘れた事しか考えていなかった僕はその水たまりに少しだけ車で勢いよく入ってしまった。

タイミングが悪かった。

歩道を歩いていた女子高生に水たまりの汚い水をかけそうになった。水たまりが小さかったのが幸いしてかかることはなかったが台風一過の水たまりであれば確実にかかっていただろう。

「あぁぁ!やべぇぇええ!」

心の中でそう思った。反省もしている。

サイドミラーから見た女子高生はこちらを振り返っていた。腹の中で「なんだあいつ」

いや、もしかしたら舌打ちくらいは既にしていたかもしれない。謝ろうかと思ったが、狭い道な上に後続車両もルームミラーから見えていた為心の中にそっと閉まわせていただいた。恐らく僕の心の中にはこれからもたくさんのごめんなさいが閉まわれていくことだろう。

 

以後、道路状況に応じた運転を心がけたいとこなのだがこの一連の流れにおいて1番問題なのは、意気揚々とアクセルを踏みこんだ僕の右足ではなく、目の届くところに大事な書類を置いたにも関わらずそれを大事であると適切な判断をしなかった僕自身である。いや、僕の脳である。最近よくある事なのだが、ふとした時に数秒前まで考えていた事がぶっ飛ぶ。そしてまた違う事を考えているのである。もしも僕がこんな自分自身を褒めてあげるとしたら

「刹那的に生きていてかっこいいよ」

。。

。。。

しかし残念ながらこうやって取り繕った言葉でさえも響かないくらいに自分自身が情けない。

 

本を読むようになってから、様々なワードが頭の中を170km/h くらいで飛び交っている。そう、大谷翔平選手のストレートを超えたのである。(大げさすぎたてへぺろ

 

なんとなーく生きていた今までに比べたら良い事だとは思うのだが、いかんせん低スペックの脳である為、処理に必要以上の時間がかかってしまう。普通であればここで 考え事をしないように目の前の事に集中しようなんて発想をするものだと思うが、残念。

僕は

「脳のスペックを上げるしかねえよなあ!?」

と考えてしまうタイプの人間だ。

これに関しては考え方も人それぞれだと思う。

僕個人的な考えとしては、自分の頭で考える事は基本的にやめない方がいいと思っている。目の前で起きた事を起きたという事象で済ますのではなく、そこから自分が何を感じたかが大事で、その感じた事は目には見えなくとも自分自身の財産や価値になると思う。同じ事が起きても、人によって感じ方や捉え方は変わるし、自分とは違った角度からのモノの見方というのは非常に面白い。そういった意味でも、僕はこれからも自分が何を感じたかを大切にしたいと思っているし、別角度でモノを捉えるという点においては、読書もたくさんしたいと思っている。

 

 

 

 

最近だと"住野よる"さんの

「麦本三歩の好きなもの」という本が面白くてすっかりハマってしまった。ブログがこのような形になったのもこの本の影響を受けている部分は大いにある。住野よるさんを知らなかった僕に住野よるさんの本と出会わせてくれた友人にはとても感謝している。

 

麦本三歩の好きなもの

麦本三歩の好きなもの