無駄を自覚して息をする

22歳が狭い知見で物を語ります

居酒屋で感じたこと

先日 高校の頃の部活の顧問と

同級生で会う機会があったのだが、

僕は仕事終わりに居酒屋で合流する形で輪の中に入った。

閉店時間も間もなかったというのもあり、

あまり長居はできなかったが

そこでは高校時代の部活の昔話やら

どういう感覚で部活していたかなどを話していたと思う。

僕は特にそんな強いエピソードトークがある訳でもなかったから

聞く側にまわっていたけど。笑

僕が入店してから少し置いて

お通しと箸や小皿などが店主さんから渡され、

飲み物を聞かれた。

 

その店主さんは、言葉遣いが綺麗で

だからといって堅苦しい敬語を使うでもなく

言葉のちょっとした受け応えが心地いいと感じた。

 

これは僕の偏見かもしれないが

接客などのサービス業や営業職は

お客様が不快な思いをしないような言葉遣いや

礼の角度などを必要以上に教え込まれる気がする。

僕も3年間 食品関係のサービス業に携わったが

本当に意味があるのかわからない

経営理念の唱和や、挨拶の五大用語など

言わされた覚えがある。

挙げ句の果てには 研修期間に建物内から

山に向かって何か叫んだ記憶さえある。笑

実際のところ、この経営理念の唱和や

五大用語が活きているかはわからないし、

多くの人はやれと言われているから

やっているだけであって必要かどうかと

問われたら大半が必要ないと答えると思う。

少々話が逸れたが、

その店主さんの受け応えが心地いいと

思ったのはなぜだろうと考えたが、

それは落ち着いた佇まいではないかと思った。

言葉だけ区切ってみると、

「コップとってもらえる?」 や

「飲み物はどうする?」

といった近しい人と会話するものだが、

トーンや間が絶妙で

ビジネスの場における言葉で言えば

「コップお下げいたしましょうか?」

「飲み物はいかがされますか?」

と同じくらい丁寧で、かつ程よい距離感を感じた。

学生時代に習わされた時候の挨拶などがあった

堅苦しい文を受け取るよりも

僕個人的には心地いいのではないかと思った。

 

AIやIoTによる自動化が進められる中で、

より人間に求められるのは

そういった人間にしか出せないような

無形のサービスだったりするのではないかと思う。